おならのはなし
この前一緒に住んでいておならをしないカップルや夫婦はどうしてるの?みたいな内容のツイートを見かけた。
その夫婦はどうやらおならにオープンなようだった。
あるフォロワーと遊んだときに同じことを言っていたのを思い出した。フォロワーのカップルもおならにはオープンなようで、どちらが大きな音を出せるのかを競い合ったり、なんと、フォロワーの恋人は目の前で急にパンツを下ろし生尻でおならをしたりするらしい。肛門のシワの動きまで見えてしまったと言っていて、めちゃくちゃ面白かった。「セックスできるならもう恥ずかしいことなくない!?」と言っていた。なるほど、一理ある。
(勝手に暴露してしまってすみません、ダメだったら消します。)
また、有名なフォロワーGさんのお兄さんは、Gさんの布団の上でおならをすると言っていた。(どうやら全裸で寝ていたり常日頃から奇行がすごいらしいので、おならは可愛いものなのかもしれない)
Gさんがそういうのは育った家庭の違いじゃない?と言っていた。Gさんの家はおならにオープンらしいし、そのフォロワーの家もそうらしい。
私の家庭もとてもオープンだ。Gさんやそのフォロワーの家庭、カップルと大体似たような感じである。だけれども、私はおならに対してオープンにはなれない。
うるさいし、くさいし、おならが好きな人は特殊な性癖でもない限りまずいないとは思うのだが、おならも、おならにオープンな自分の家族もすごく嫌だった。本当にトイレでしてほしい。いや、どうしても出てしまうものは仕方がないが、トイレに行く努力をしてほしいよ…
話は変わるが、普段のツイートを見てわかる通り私はとても内向的な人間である。基本的に他人にあまり心を開かない。ツイッター上でのツイートは独り言のようなもので、誰かに向けているわけでもないので何でも言えるし、そんなツイートを見ているフォロワーにもまあ言える。悩みは近しい人じゃない方が言えるタイプ。家族や、恋人や友達であっても、というか、だからこそ、自分の恥ずかしいところや弱いところを見せたくないのかもしれない。プライドが高いのだろうか。
何が言いたいかというと、結局人間関係は、「どこまで恥ずかしいところを見せられるか」なのかなと思ったわけである。
そういえば読んだのは結構前だけど、朝井リョウさんの小説「レンタル世界」に出てくる主人公は「自分の底を見せる、最も相手に知られたくないようなことをさらけ出す」ことで信頼関係を築いていると言っていた。体育会系っぽいやり方だが、いい方法なのかもしれない。みなさん手取り早く打ち解けるためにはおならで試してみてはどうだろう。
まあ人間関係なんて、人間の数ほど築き方があるわけで、何がダメで何が良いなんてものはないと思うけどね。そういうわけで、私は今日もおならをしません。
何の話?
まとも王