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INTP 秋の女

雷雨

今朝は酷い雷雨の音で目が覚めた。最近はまた夜眠れなくなっており、朝方に眠る生活をしていたため、睡眠時間が足りずアルバイト中はとても眠かった。

8月はアルバイトを頑張ったと思う。夏休みで授業がないということもあるが、時間を計算すると普段のざっと2倍は働いた。このアルバイトは大学1年から始めて、もう3年目になる。この私がよく3年も続けられたと思う。何度かやめようかとは思ったけれど、結局卒業までお世話になることになりそうだ。コールセンターというところは非常に面白くて、最低限の報連相以外では人と関わらなくてもやっていけるし、振られた仕事を淡々とこなしていくだけなので基本的には楽だ。大学1年の時にイタリアン系の居酒屋で少しだけ働いていたが、私に一番向いていない仕事だったと思う。愛想というものが欠落しているこの私に、対面での接客業は無理だということがわかり、非常に有益な経験であった。また、当然だが客の入りによって慌ただしくなると、急かされたり焦ることがある。そんな中ただでさえ苦手なマルチタスクをこなせるはずもなく、私の特性に対して最悪の相性だろう。21年間愛想がない、マイペースと言われ続けてきた女である、逆にどうして飲食店で働こうと思ったのか当時の自分に問いたい。話はずれたが、コールセンターである。3年目になるが、友達はできなかった。そもそも入れ替わりが非常に激しいというのはあり、入った当初から知っている人は(社員を除くと)2人くらいしかいない。1人は同い年の大学生で、とても明るく社交的な女性である。彼女のような人をみると、すごいなと思う。3年の間、めまぐるしく変わる人間関係の中で、それでもその度に関係を築き、仲良くなっていく。勤務している時間の多さの違いがかなりあるとはいえ、本当にすごいと思う。私は一生、そういう人にはなれない。

自分のことは嫌いではない。好きになるために努力したからだ。その努力は、理想の好きな自分になるための努力ではなく、どんなダメな自分も受け入れるという意識の変え方の方だが。良いのか悪いのかはわからないが、間違ってはなかったと思う。生きやすくなったから。人から見るとただ単に堕落した人間になっただけに見えるかもしれないが、自分のことは自分で承認できるようになった今、他人の意見はどうでもいいのだ。いや、こんな話がしたかったんじゃない。そう、私は自分のことが嫌いではないし、どんなダメな自分も受け入れていくつもりだ。一生、私のことを受け入れられるのは私しかいないから。それでも、そういう、アルバイト先の女性のような人を見ると、どうしようもない気持ちになる。もちろん、彼女は彼女なりに周りと上手くやっていく努力をしているのだろうし、私が人と仲良くするために努力したのかと言われればしていないし、努力してまで人と仲良くしたいかと言われれば違うような気もする。そこまで含めて、本当に自分はどうしようもない人間だなと思った。この話は前もしたかもしれないが、昔、割と長い期間好きだった人がいた。その数年、私が彼と話したのは片手で数えられる程度で、それも一言二言の会話とも呼べないようなものだった。私はいつまで経っても変われないままだ。

変わらないことが悪いとは思わない。私はできるだけ変わらず生きていきたいと思っている。変化は好きな方だけれど、それは周りの環境のことで、軸となる自分はあまりブレないようにしたい。でも、何も変わらないままで、このままでいられるわけではないのもわかっている。好きな女性作家の川上未映子さんの記事に、“「等身大の私が好き」と、「リスクを取らない」のは違うこと。何もしないまま常に快適でいられるということではない。”という言葉がある。そういうことなのだ、私は、そういう覚悟を遠からずしなければいけないのだろうか。抽象的になってしまったが、そういうことを毎日考えている。

それでもここ数年、いい意味で変われた部分も多いと思う。正確には元に戻ったというべきかもしれないが。高校生の時は精神を患っていたのもあるが、不健全な考え方をしていたと思う。もちろんINTJの人が全員そうだとは言わないが、高校生の時はINTJという結果が時々出ていた。今は INTPしか出なくなった。その変化は非常にわかりやすく、自覚している。思い返すと、当時は〜すべきという断定的な口調で話しがちだったし、理想や計画、自分の価値観に固執しがちで、他者に対して否定的とまでいくような閉鎖的な人間だった。そう考えると、随分適当に、柔軟に物事を考え、他者の考えも受け入れられるようになり、私は生きやすくなったと思う。高校生以前はずっとこんな感じだったから、様々なことを経て、また元に戻っただけとも言える。そういえば、昔は自分の感情全てを言語化しないと気が済まなかった。しかし、そうやって自分の感情に過敏になればなるほど、無理矢理傷を抉っていくように、自分のことを嫌いになっていると気付いて、そうするのをやめた。そう考えると、随分自分の感情に対して鈍感になったように思う。良いことなのか悪いことなのかはわからない。自分と向き合うことから逃げているだけなのかもしれない。感じたモヤモヤをそのままにしている。たまにこうやって文章にしているけれど、やっぱり深く考えるのをやめてしまうから、こういう抽象的な文章になってしまう。

計画を立てるのは好きではないが、そろそろ数年ごとの目標を立て、人生設計をしていった方がいいのかと考えたりもする。時代は令和である。従来の価値観に基づいた将来設計などは役に立たず、上の世代とはやはり全く違った生き方になってくるだろう。誰かの真似をしたり、周りがこうだから、などで決めるのではなく、自分の頭で考えて生きていかなければいかない。そんなことをしてまで生きていきたくもないのに、でも、死ねるならとっくに死んでいるので、やっぱり生きていくしかないのだ。とりあえず、ストレスで歯茎が腫れて痛いので、早いところこの悩みから解放されて、眠れるようになりたい。