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INTP 秋の女

AM1:30

現在AM1:30、今日こそは早く寝ようと誓い布団に入ったのが一時間前だ。フルニトラゼパムをオロパタジンとハイチオールと一緒に流し込む。これで二時間後には寝られているだろうか。オロパタジン、この前までは明治のもので無味だったのだが、突然サワイのものになり、水に触れた瞬間いちごみたいな味が口の中に広がりとても不快。薬の味はどうも苦手だ。同じ成分のはずなのに、味が変わることってあるのか?気のせい?有識者いたら教えてください。

そういえば昨日、薬局に売っていたお徳用っぽい、400円弱で20袋ほど入ったドリップコーヒーを買った。薄く感じて、たくさん飲んでしまった。カフェインを控えようと、苦手なルイボスを買ってきたのに結局コーヒーを飲んでいるのだから意味がない。ルイボスは、コーディアルというのか、ハーブや果物を砂糖とルイボスと一緒に煮込んで作るシロップを買った。煮込んでいる最中は部屋の中が地獄だった。ルイボス、香りがどうも苦手で、なんというか薬品のような香りがするよね。できあがったシロップは瓶に詰めて、7倍くらいでホットミルクと割って飲んだら美味しかった。甘いミルクティーだ、寝る前は紅茶を控えてこれを飲もう。あと、今日は近くのティースタンドへ行って、カシスのフルーツティーを頼んだ。どことなくサングリアのような、甘いフルーツティーで、このカシスはシロップかなと思っていたのだが、底にカシスそのものが入っておりびっくりした。他にはみかんのフルーツティーのメニューがあったので、今度はそちらも頼んでみたいと思う。

この前はフォロワーとずっと食べたかったパンケーキを食べ、最果タヒ展「われわれはこの距離を守るべくして生まれた夜のために在る6等星なのです」に行った。最果タヒについてはそこまで詳しいわけではないが、中高生の頃に本を何冊か読んだことがある。あまり否定的なことを言うのもよくないが、正直この人の文章はあまり好きな方ではなかった。上手く言えないのだが、前後の文が全く別のことを言っているというか、まとまりがない気がするのだ。それで、何度読んでも、頭に入ってこないというか、ん?結局どういうことで、何を言いたい文章なのだろう?となる。もちろん、何かを伝えたいわけではないのかもしれないし、文学とか、詩とか、そういったものには全く詳しくないので、もしかしたらそういうものなのかもしれないけど。でも、最果タヒ展は楽しかった。透明なアクリルでできた、立体的な詩は、光に照らされて影のようになった文字を読んで、なるほどこういう表現方法もあるのかと思った。輪っかの中に書いてある詩は、どこからでも読めるようになっていた。また、白黒のモビールに吊るされている、たくさんの言葉は、無限に組み合わせができて、飽きることがなかった。モビールの中でなるほど、となった詩は、「永遠を観測することができるのが、人類の特権であると思うのです。」である。なるほど、私も永遠を観測したい。また、特に印象に残っている展示は、「いまなん詩゛?」という、デジタル時計の時:分:秒のそれぞれに言葉が割り当てられ、一秒ごとに違う詩になっていくというものだった。私が展示に行ったのは14時で、14時台はにせものの雨が時だった。例えば、14:21:?は、「にせものの雨が:誠実なふりをして:きみのいない夢を見る。」だった。14:22:?は、「にせものの雨が:静かに:またたいている。」だった。とても面白いアイデアだなあと思った。このように、いろいろなデザインを交えて、言葉を表現するというのは、とても面白く、行ってよかったと思った。美術館に絵画を見に行く時もそうだが、私は、こういった展示物を見て、何か一つでも好きだと思えるものに出会えれば、それはとても価値のあるものだと思っている。好きだと思えるものに出会えることはもちろん、嫌いだと思えるものに出会えるということすら、価値があると思う。私は感性があまり豊かな方ではないので、淡々とした日常生活を送っているとついそう感じることすら忘れてしまうから、やっぱり、定期的にこういったものに触れて、何かを感じることは重要だと思う、私にとって。

少し眠くなってきたな、嘘、眠いという感覚がもうあまりわからない、ずっと。ただ、頭がフラフラする。フルニトラゼパムは、脳の神経系の作用を強めて眠気を引き起こして、気絶したように眠れる、麻酔の前や、強めの不眠症の治療に使われる薬だ。そういえば前の記事にも書いたが、どうして人は簡単に、薬で幸せを感じたり、眠気を引き起こしたり、食欲を起こしたりまたは失くすことができるのに、苦痛に耐えながら、必死に生きなければいけないのだろうか、謎。最近は割とたのしい生活を送っている。最近ハマっていることは、家具を買い替えたり、少し高め(私にとって)のルームウェアを買ったり、アロマを炊いて、家で過ごす時間を快適にすることだ。以前まで好きだった化粧品も洋服も、趣味のゲームや音楽にさえ、少し限界を感じている。飽きることが怖い。繰り返すことが怖い。また、ずっと、この生活が続くのか、という感覚は、苦痛だ。まあこれは、前回の記事に書いたので、今回は書かないでおこう。ちなみに今はAirPodsで音楽を聴いているのだが、音がどんどん遠くなる感覚がする。特に左耳、聞こえづらい、フルニトラゼパムによるものなのだろうか。気絶が近いようなので、これくらいで今回の日記は終わりにしようと思う。別に病んでいるわけではないし、とても元気だけれど、久々に薬を服用して眠りにつくチャレンジをするので、その経過を最近の日記と共に書いていこうと思った次第です。それではみなさんごきげんよう、三月になったけど、なんとか耐えぬいていこうね。今いちばん欲しいものはリンドールのストラッチアテラ10個入りです、店舗に行ったけどなかったので、ウェブ限定らしい。フォロワー、送ってください、よろしくお願いします。まとも王より。

苦痛の正体

つい数週間前まで、半袖で過ごしていたというのに、すっかり気候は秋を通り過ぎ、冬めいた冷たい風が吹いている。夜はニットにコートを着ていても寒いくらいで、急な気候の変化に驚くね。みなさん如何お過ごしでしょうか?

季節も人生も、変わったことに気づくのはいつも変化が起こった後だよね。

最近Twitterを見ていても、実生活の周りの人を見ていても、体調を崩したり、メンタルを患っている人が多い。気温差や低気圧、流行の感染症や、それに伴う景気悪化や薄暗い日本社会の空気かもしれないし、元々抱えていたものが何らかのきっかけで悪化など、まあ原因は様々あるのでしょう。かく言う私も、数年前からメンタルを患っており、現在は通院しておらずかなり回復したのだが、最近また眠れず憂鬱感が続いている。メンタル系のものは、一度患うと基本的に完治はなく、治療や環境の変化などで元の状態に戻ることはできるかもしれないけれど、何らかのきっかけでぶり返してしまうので、一生付き合っていくものだと思っている。(専門家ではないので、個人的見解)だから、みんな、ちょっとでも調子悪いな?と思ったら、本当に無理せず一度休んでほしい。追い詰められているときに不調を自覚することも、休むことも、とても難しいことだけど。

この前フォロワーと話していたのだけれど、病名が付かなければ辛い環境から逃げられない社会って、すごく嫌だよね。それに、病名がついた時に、安心する人と、ショックを受ける人がいると思うけれど、安心する人は、やっとそこで辛かった頑張ったと自覚できるわけで、私もそのパターンだったけれど、それって、自分の限界を自覚できないくらいに追い詰められてたってことで、それもすごく嫌だよね。社会、変えたいよね。ウチら令和ガールズ&ボーイズは、下の世代のために少しずつでも社会の認識を変えていけたらいいな。まあ、人類なんて皆、滅べばいいとは思っているけれど。

 

自分語りになるが、まあこのブログ自体、私のことを書く場所なので、存分に私の話をしようと思う。みんなに休むことや、治療を勧めておきながら、何だという話にはなるが、私は自分の病気は、別に治らなくてもいいと思っている。治らなかったらどうなるか?どうにでもなってしまえばいいと思う。他人に迷惑をかけたり法を犯すようなことは極力避けたいが、自死を選ぶくらいなら、全然いいのだ。だってずっと、死にたいから。

そもそも私のこの死にたさは、物心ついた時からあるものだ。幼稚園の時から毎日通園することの意味がわからなかったし、小学生の中学年に上がる頃にはもう「死にたい」と口にしていた。“生きるということは、これがずっと続いていく”ということに気づいてしまった時点で、もう耐えられなかった。毎日同じことの繰り返しだ。それは、明日は今日と違うことをすればいい、というようなことではなく、人生は、あと(おそらく)何十年も、何万日も、生きることを繰り返していくだけの、ただの作業だ。小さな頃からそれが苦痛だった。小学生のとき、夜は明日の準備をしたよね。次の日の授業を確認して、ランドセルに教科書と給食セットを詰める。体育があれば体操着を着ていかなければいけなくて、給食当番だったらマスクが必要だった。そういうことを考えると、狂いそうになる。どうせ何も変わらないのに。この苦痛だってそうだ、一度気づいてしまったらもう気づかなかった人生には戻れないのだ。なかった?時間を意識した途端に時間の進みが遅く感じたり、まばたきや呼吸、唾液を飲むということを意識した瞬間、今までどのタイミングでどうしていたのかわからなくなる、みたいな。それにとても似ている。ずっとこれが続いていく。人間には感情があって、この苦痛もそうだし、楽しいや嬉しいという種類のものもある。そのポジティブな感情を抱くために行動することすら面倒だ。例えば苦労して得たものほど達成感は大きいけれど、そんなのわざわざ苦労しなくとも、麻薬でもやれば一瞬だ。そんなのには価値がない?どうして、人間の感情なんて、脳の神経伝達の結果でしかないのに。好きなライトノベルにこういう一節がある。

「あのさあ。人間の脳味噌ん中には報酬系神経系ってのがあるんだよ。A10神経系っつーやつ。美味い飯を食ったりとか人から誉めてもらったりとか欲しいものを買ったりとかすると、伝達物質が合成されてシグナルが伝わって俺らは幸せを感じるわけ。逆にさあ、統失とか鬱なんかだとドパミン機能が低下してさあ。要するに、いくら頑張って幸せなことしても脳味噌ん中でちゃんとモノが合成されないと幸せ感じないわけ。だから、俺らはA10神経系を刺激するために生きてるんだよ、わかる?だったらさあ。薬でいいじゃん。ダイレクトで、わかりやすいだろ。そのままヒットするんだから。別に頑張って仕事して金稼いだり女見つけて結婚したりする必要ないんだよ。薬で結果が同じなんだからさあ。同じどころじゃないよな、つらい部分はないし時間もかかんないもんな。薬はパーフェクトだよ」神様のメモ帳杉井光

これは脱法ドラッグに手を染めた青年の言葉であるが、全くの同感である。まあ、私は、脱法ドラッグだの麻薬だのに手を出さないけれど。

これらの感覚、わかる人にはわかるだろうし、わからない人にはわからないと思う。精神疾患であったり、こういう死にたさを、贅沢だとか甘えだとか言う人間はきっと絶対にいなくならないけれど、気安くわかられたくもないから、別にいいね。

 

わかるな〜と思った記事があったので、共有。

seramayo.com

 

 

全然話変わるんだけど、他人の死にたさをバカにする人間って、クッソほど気持ち悪いよね。超嫌いなんですよ。確かに、精神病闘病日記みたいなのに必ず“理解のある彼くん”が出てくるのには疑問を感じなくはないんだけど。元ネタを見ていないから詳しくはわからないけれど、インスタか何かの漫画なのかな?『昔から漠然とした死にたさを感じていた』みたいな出だしから始まって、いつの間にか結婚して、子供もできて…みたいなやつ。それをバカにするインターネット・オタク、超キモいよね。

恋人や結婚相手がいるのに死にたいのか?と疑問に思う人、いるんだね。恋人がいたところで自分の世界の全てではないし、人生を救ってくれるわけでもないので、恋人がいることや人を好きになるということと、死にたい気持ちは両立すると思うんだけど。まあ、死にたい気持ちを抱えながら、人と付き合うのは不誠実では?と言われたらそうなのかな。わからない、実際に死ぬなら確かに、不誠実だし、迷惑かもしれないね。死にたいと思いながら生植するのも、まあ、私には理解できないけれど、それをバカにできるほど、みんなそんな矛盾のない人生、送ってるの?

中学の頃、恋人がいたけれど、学校に行きたくなくて、私の中でそれは全く関係がないことだったんだけど、親に学校に行きたくないと言ったら「恋人がいるのに?」と言われたのを思い出して、嫌な気持ちになったね。何の関係があるんだ…。

 

最近の話を少し。身近な人がパニック障害と診断された。その人は明るく元気で、友達も多く、仕事もできる、私とは真逆の“社会に適合できる側の人”だと思っていた。原因は仕事のプレッシャーであったり、身内の不幸と言っていた。私が知る限り、残業時間が多いとか、パワハラ上司がいるとかそういったいわゆるブラックな労働環境ではなかった。1年前くらいまでは、精神病に全く縁がなく、気の持ちようなどと言っていた人だ。それでも、なるものなのだ。誰でもなる可能性はある。みんな自分のこと、大事にしようね。それで、縁がないと思っている人も、もしそうなった時に全部自分にブーメランになるので、無神経なことは言わないようにしようね。

身近な人だけれど、私には何もできることがない。いつもそう、周りの人はみんな優しさをくれるのに、ずっと自分のことばかりだ。死にたさを感じているのも、そういった周りの人への裏切りなのかもしれないと思うこともあるね。

本気で死にたいのなら確実な手段をとって死ねばいい←本当にそうだよな〜!

本当は死にたくないのでは?←そう思うならそうかもしれないね。でも、ウチ、どうしたらええん?

これを解決したら死にたさがなくなる!みたいな、根本的な原因がないんだよね。そもそも生きていることが、人生が続いていくことが、生活をするということが、ストレスだから…。それ以外、別に不満なこともないんだよね、これが!周りの人にも環境にも恵まれているとは思うし、私、自分のこと結構好きだし。超矛盾じゃないですか?私にもわからないことを、誰がわかると言うんだ。

 

話変わるけど、私、両親にも、今までの恋人全員にも、「あなたのことが何一つ理解できない」と言われたことがある。言われた当時は結構ショックを受けたけど、人と人は分かり合えないということを、人生の早い段階で気付けたのはよかったと思う。18年間同じ家で生活してきた家族にもわからないなら、もうそれは誰にもわからないでしょうね。でも、別に分かり合う努力を放棄しているつもりはない。私は結構、思ったことは我慢せず伝えるほうだし、討論も好きだ。恋人がいて、何か思うところがあればちゃんと話し合いたいタイプだ。この世界で最も大切なものは言葉だと思っていて、徹底的な言葉のコミュニケーションでしか人間関係は構築できないと思ってさえいる。私は超能力者じゃないので、他人の気持ちなんてわからない。察してほしいと言われるのは苦手だし嫌いだ。話はずれたけど、ともかく、私は常々思っていることは言葉にして相手に伝えるようにしているのだけど、それでも、理解できないと言われるので、もうそれは仕方ないね。伝え方が悪いのかな?正直、私ほどわかりやすい人間もいないと、自分では思ってるけど。

人と人はわかり合えないとも思ってるし、元々の共感性の低さもあって、私も他人のことは全然わからない。なんて言うんだろう、理解や納得はすることはできるけど、共感はできないっていうのかな。その辺のこと、ごっちゃになってる人って結構いない?私は別に、私の考え方に共感して欲しいとかではなく、こういう考えもあるんだ、って思ってもらえれば、それで十分なんだけどな。意見交換みたいな、私は基本的にこういうスタンスで人と関わってるけど、みんな違うのかな。でも、“女は共感を求めがち”みたいな言説がある通り(女性に限らないけど)、すごくわかって欲しいんだろうな、というのを感じる人も結構いるね。わかってほしいという気持ちを否定するつもりは全くないけど、人間なんて、10人いれば10通りの人生があるんだから、100%の共感はそりゃあ、無理だよなあと思ったりする。

 

この先のことを考えると、どうしようもなく不安になる。夜になると、耐え難い苦痛と不安が襲ってくる。どうして夜かというと、多分、今日と明日の狭間だからだろうね。明日になるのが怖いし、この先がずっとあるのが怖い。目を瞑っていると、こういうことが延々と頭を支配して気が狂いそうになる。病気は別に治らなくてもいいと言ったけれど、やっぱり眠れないと生活に支障が出るので、眠れるお薬だけ、そのうちもらいに行こうかな。全然関係ないんだけど、私、クマできにくくて、全然寝てなくても顔に出ないので、めちゃくちゃ得です!いいでしょ。

お昼からバイトがあるから、もう寝ないと。疲れて後半文章が適当になってしまったので、気が向いたら編集します。眠れる気はしないけど、とりあえず布団にでも入ろうかな。ここまで読んでくれた人がいるのかわからないけれど、寒くなってきたので、くれぐれもご自愛くださいね。

雷雨

今朝は酷い雷雨の音で目が覚めた。最近はまた夜眠れなくなっており、朝方に眠る生活をしていたため、睡眠時間が足りずアルバイト中はとても眠かった。

8月はアルバイトを頑張ったと思う。夏休みで授業がないということもあるが、時間を計算すると普段のざっと2倍は働いた。このアルバイトは大学1年から始めて、もう3年目になる。この私がよく3年も続けられたと思う。何度かやめようかとは思ったけれど、結局卒業までお世話になることになりそうだ。コールセンターというところは非常に面白くて、最低限の報連相以外では人と関わらなくてもやっていけるし、振られた仕事を淡々とこなしていくだけなので基本的には楽だ。大学1年の時にイタリアン系の居酒屋で少しだけ働いていたが、私に一番向いていない仕事だったと思う。愛想というものが欠落しているこの私に、対面での接客業は無理だということがわかり、非常に有益な経験であった。また、当然だが客の入りによって慌ただしくなると、急かされたり焦ることがある。そんな中ただでさえ苦手なマルチタスクをこなせるはずもなく、私の特性に対して最悪の相性だろう。21年間愛想がない、マイペースと言われ続けてきた女である、逆にどうして飲食店で働こうと思ったのか当時の自分に問いたい。話はずれたが、コールセンターである。3年目になるが、友達はできなかった。そもそも入れ替わりが非常に激しいというのはあり、入った当初から知っている人は(社員を除くと)2人くらいしかいない。1人は同い年の大学生で、とても明るく社交的な女性である。彼女のような人をみると、すごいなと思う。3年の間、めまぐるしく変わる人間関係の中で、それでもその度に関係を築き、仲良くなっていく。勤務している時間の多さの違いがかなりあるとはいえ、本当にすごいと思う。私は一生、そういう人にはなれない。

自分のことは嫌いではない。好きになるために努力したからだ。その努力は、理想の好きな自分になるための努力ではなく、どんなダメな自分も受け入れるという意識の変え方の方だが。良いのか悪いのかはわからないが、間違ってはなかったと思う。生きやすくなったから。人から見るとただ単に堕落した人間になっただけに見えるかもしれないが、自分のことは自分で承認できるようになった今、他人の意見はどうでもいいのだ。いや、こんな話がしたかったんじゃない。そう、私は自分のことが嫌いではないし、どんなダメな自分も受け入れていくつもりだ。一生、私のことを受け入れられるのは私しかいないから。それでも、そういう、アルバイト先の女性のような人を見ると、どうしようもない気持ちになる。もちろん、彼女は彼女なりに周りと上手くやっていく努力をしているのだろうし、私が人と仲良くするために努力したのかと言われればしていないし、努力してまで人と仲良くしたいかと言われれば違うような気もする。そこまで含めて、本当に自分はどうしようもない人間だなと思った。この話は前もしたかもしれないが、昔、割と長い期間好きだった人がいた。その数年、私が彼と話したのは片手で数えられる程度で、それも一言二言の会話とも呼べないようなものだった。私はいつまで経っても変われないままだ。

変わらないことが悪いとは思わない。私はできるだけ変わらず生きていきたいと思っている。変化は好きな方だけれど、それは周りの環境のことで、軸となる自分はあまりブレないようにしたい。でも、何も変わらないままで、このままでいられるわけではないのもわかっている。好きな女性作家の川上未映子さんの記事に、“「等身大の私が好き」と、「リスクを取らない」のは違うこと。何もしないまま常に快適でいられるということではない。”という言葉がある。そういうことなのだ、私は、そういう覚悟を遠からずしなければいけないのだろうか。抽象的になってしまったが、そういうことを毎日考えている。

それでもここ数年、いい意味で変われた部分も多いと思う。正確には元に戻ったというべきかもしれないが。高校生の時は精神を患っていたのもあるが、不健全な考え方をしていたと思う。もちろんINTJの人が全員そうだとは言わないが、高校生の時はINTJという結果が時々出ていた。今は INTPしか出なくなった。その変化は非常にわかりやすく、自覚している。思い返すと、当時は〜すべきという断定的な口調で話しがちだったし、理想や計画、自分の価値観に固執しがちで、他者に対して否定的とまでいくような閉鎖的な人間だった。そう考えると、随分適当に、柔軟に物事を考え、他者の考えも受け入れられるようになり、私は生きやすくなったと思う。高校生以前はずっとこんな感じだったから、様々なことを経て、また元に戻っただけとも言える。そういえば、昔は自分の感情全てを言語化しないと気が済まなかった。しかし、そうやって自分の感情に過敏になればなるほど、無理矢理傷を抉っていくように、自分のことを嫌いになっていると気付いて、そうするのをやめた。そう考えると、随分自分の感情に対して鈍感になったように思う。良いことなのか悪いことなのかはわからない。自分と向き合うことから逃げているだけなのかもしれない。感じたモヤモヤをそのままにしている。たまにこうやって文章にしているけれど、やっぱり深く考えるのをやめてしまうから、こういう抽象的な文章になってしまう。

計画を立てるのは好きではないが、そろそろ数年ごとの目標を立て、人生設計をしていった方がいいのかと考えたりもする。時代は令和である。従来の価値観に基づいた将来設計などは役に立たず、上の世代とはやはり全く違った生き方になってくるだろう。誰かの真似をしたり、周りがこうだから、などで決めるのではなく、自分の頭で考えて生きていかなければいかない。そんなことをしてまで生きていきたくもないのに、でも、死ねるならとっくに死んでいるので、やっぱり生きていくしかないのだ。とりあえず、ストレスで歯茎が腫れて痛いので、早いところこの悩みから解放されて、眠れるようになりたい。

akumu

もう数年、睡眠障害に悩まされている。上手に眠れないのはもうほとんど諦めているが、問題は悪夢である。もともと夢を見ない日はほとんどないのだが、それにしてもここ最近の悪夢は酷い。私の見る悪夢は、主に追いかけられたりだとか、殺されかけたりというものがほとんどだ。この前は某どうぶつの森の3匹のキャラクターが擬人化し、突然豹変して殺されかけたという夢を見た。これらを話したらファンタジーな夢だね、と言われたことがある。確かに現実ではそうそうありえるシチュエーションではない。しかし、感覚としてはかなりリアルなのである。夢の中で夢だと気づくこともない。ゾンビに爪をたてられた感覚は起きてからもしばらく手の甲に残っていたし、どうぶつに首を絞められる苦しさで30分くらい心臓がバクバクして動けなかった。検索をかけたら悪夢障害というものがヒットした。なんだそれ、もう薬は飲みたくない。助けてくれ。

 

まあ、だいたいこのようなものは精神系の問題が起因している。ストレスとは大分うまく付き合えるようになってきたつもりだ。今だって、眠れないから春雨スープを飲み、好きな音楽を聴きながら、こうして文章を書いている。昔の私だったら薬を飲みずっと布団の中で泣いていただろう。あの頃は毎日飽きることなく泣き続けていたが、最近はさすがに涙も枯れたのか全く泣くことがなくなった。その代わり感情の起伏も乏しくなった気がする。元々他人に対して関心が強い方でもなく、共感性も高いほうではなかったが、最近はそれが顕著に出てきてしまい、しばしば対人関係で困難を生んでいる。

 

現在は就活生の身だが、どの職種どの企業に行ってもだいたい「大切なのはコミュニケーション能力」だとか、「人が好きな人がこの仕事に向いている」と言われる。生まれてこのかたコミュニケーションなんてまともにできた覚えがないし、人間なんて大嫌いだ。

だいたい、人間はほんとうに最悪だ。同じ種族のくせに、何百年たっても差別や偏見はなくならないし争いは止まない。私利私欲に走って、人を貶め、騙す。愚かにも程がある。表ではいい顔をしても裏では何を考えているかわからない。身勝手に生態系を破壊し地球を汚染している。どんなに理性的なフリをしても、結局は三大欲求に逆らえない野蛮な生き物である。そんな最悪の生き物がこの地球に存続していいわけがない、生殖をやめ、今にも滅んでほしい。…と呪いの言葉を吐いてみるが、私の周りでは当然これに該当する人はおらず、みんな優しくユーモア溢れる理知的な人たちだ。最悪なのは私だけだったってワケ。

 

人間に向いていないことなんて、布団に籠城し自問自答を繰り返した数年間でわかっている。が、ここ最近がちょっと楽しかったばかりに、私でも人生をやっていけるのかもしれないという期待を抱いてしまった。死を成功させる勇気もないくせに生きることから逃げたいと願い続けている、いつか救われたい。受け身でいたくないので、いつか救う。

そうそう、面接の練習をしていた時に、大学のキャリアカウンセラーから「あなたの話は具体性が足りない」と指摘されたことがあった。それはそう。この文章は思いのまま書いているので、読み返しもしていないが、まあこれもかなり抽象的すぎる自覚はある。何が言いたいのか全然わからない?伝える気は、ない。こんなのでコミュニケーションを取る気もない。コミュニケーションというのは、もっと、ちゃんとした、双方向が…相互理解のための…意思を……

 

これは紛れもなく私にとって悪夢に分類されるものなのだが、昔好きだった人の夢を定期的に見ている。誤解のないように言っておくが、未練なんてものは全くないし、連絡を取る手段もないほどとうの昔に縁がなくなった人だ。というか、当時ですらまともに会話をした覚えがない。この私が、好きな人とまともに話せるわけがない。それで、その人と夢の中で私は普通に会話をしたり遊びに出かけたりしており、多少の幸福感は生まれるが、寝起きの絶望感といったら真面目に死のうか考えるほどだ。私にとって「ありえたかもしれない未来」というのはとても怖い。自分の怠惰がこの人生を生んでいて、もっと努力していればもっとマシな人生があったかもしれないと気づいてしまう。

 

といいつつ、今の人生にそこまで不満があるわけではない。納得はしているつもりだ。自分が不幸であるとまでは思わないし、幸い人には恵まれている方だとは思う。私が数年間大事に抱えすぎて発酵に失敗し、完全に腐敗したことにより毎日の睡眠を妨げている悩みは、ほとんどの人が思春期に捨ててしまったものなのかもしれない。それでも今日も眠れず朝日が昇ってしまったし、きっとまた悪夢を見る。

さいきんのはなし(2020年2月ver.)

最近は色々思うところがあり、中々人様に見せられるような文章を書けずに公開することができなかったので、ここらで当たり障りのない(ホンマか?)最近の話をしたいと思う。

 

1月から2月頭にかけ、無事期末考査とレポート課題などが終わり、あとはフル単を祈るばかりである。1年生の時は全然大学に行くことができず、1年終了時の単位数は確か18とかだった気がするのだが、死ぬ気で2・3年生通い、4年生行けば無事卒業必要単位は揃いそうである。留年は回避できそうなのでよかった。私は高校を途中で辞め通信で卒業しているので、なんとしても大学はストレートで卒業したいわけです。退学・留年・退職はツイッタラーの十八番ですが、私は無事卒業し、一抜けさせて頂きます!

大学院とやらに憧れもするが、なにせ自殺大学である。フォロワーには大学院生または進学予定の方が多数いるが、大変そうだなあと思うなどしている。

 

そういうわけで、3月の就活解禁を控えもう2月である。インターンは夏に1社、冬に1社行ったのみでこの前初めてまともにスーツを着た。不安しかない。周りにはちらほら内定を貰っていたり、内定とまでは行かずとも、面接・選考を受けている人がかなりおり、3月1日解禁とはなんなのだと怒り心頭に発する。使い方合ってんの?

 

それはともかく、今までなんとなくいいなと思っていた業界があったのですが、急に別の業界に興味を持ち始めたはいいものの、もう3年の2月では資格も勉強も間に合わず、不安しかない。年下のみんなは早いうちに単位を取得し、資格の勉強もしておこうね。でもこういうのは、いくら他人に言われても、身にしみないとわからない。わかった時には遅いんですけどね。

自己PRとやらをこの前まともに書いて、大学の就職支援の人に添削してもらい、まあいいんじゃない?と特に手直しを加えられることもなくオーケーを貰ったんですが、エピソードがなんとまあ薄っぺらいこと。みんな何書いてるの?とりとめもないエピソードをいかにもそれっぽく書くことしかできない、まあみんなそんなものか。

きっとこれから就活が本格化すると相当精神が参ると思うんですが、みんな温かく見守ってね。あと就活経験した先輩フォロワー、アドバイス色々お願いします。

 

最近は嫌なことがあるとハーゲンダッツを食べている。コンビニのスイーツやアイス、たまに外れがあるよね、決して安い値段ではないのに…と思うような失敗が続き、もう絶対に失敗しないハーゲンダッツを近くのスーパーでまとめ買いしている。

メルティーメープルクッキーという味がもう、めちゃくちゃ美味しい。全員食べて欲しいけど名古屋市の人は私の分がなくなるので食べないで欲しい。あれがあれば私は最強になれる。一年中販売して欲しい。

お風呂にゆっくり入って、ロイヤルミルクティーを淹れ、ハーゲンダッツを食べる。

どんなに消耗した精神でもかなり回復できる魔法なのでみんな覚えておいてね。(ただしお金はなくなります。でも外食するより安いもんね!)

 

そういえば1月は貴族会(お酒とパーティーのはなしの記事を参照)をしたり、CRYAMYのライブに行ったり、あと2回ほどフォロワーと遊ぶなどしたね。

 

アフタヌーンティーセットはいいね、貴族になった気分になれるので。貴族会をしたお店は、私は何度か行っており、好きなブランドの紅茶を扱っているし、何より肉が美味しい、カフェなのに。あと最近インスタを見ていて知ったんだけど、そのお店は障害者雇用に力を入れているらしく、定休日が多いのは研修に当てているかららしい。障害者施設や災害の支援なども積極的に行っているとのことで、素晴らしいと思った。スタッフ全員に給与をしっかり与えるために、サポートスタッフが少ないらしく、心が折れそうになると書いてあり、とても応援したい気持ちになったので、これからも通おうと思う。みんなも行ってみてね!接客もよく、本当に美味しいので。

これは完全な個人の思想なんですが、募金みたいな見返りが何もないボランティアは長続きしないと思っていて(もちろんやることは素晴らしいけれど)、やって終わりではなく、継続的に支援する必要があるので、そういうビジネスをすることが一番いいなあと思う。上手に言葉にできないのでこの辺りにします。

 

CRYAMYの月面旅行ツアーに行ったのですが、相変わらずカワノのMCが長く面白かった。一曲より長い。今回のアルバムもとても良かった。CRYAMYの歌詞は暗いけど、それでも生きていて欲しいというメッセージが込められているような感じ。今回のアルバムは特に、そんな曲が多いような、好きになって日が浅いので、あまりわかったようなことは言えないですが。

ライブに行くと泣いている人がちらほらいるけれど、私も高校生の時とかに聴いていたら泣いていたかもしれない。カワノのMCに泣いていたかもしれない。

私は良さを語るのが苦手なので、私が何を言っても多分伝わらないと思う。もっといい感じに語ってくれている人はきっといっぱいいるので、気になったら調べて欲しい。YoutubeにMVあるから知らない人は聴いてみてね。この感じは、フォロワーは結構好きな人いるんじゃないかな。

 

そして2月1日のゲストハウスオフについて少しだけ書こうと思う。文章を書くことは好きだけれど、面白おかしく書くことができず、あの楽しさは私には表せないので、他のフォロワーが記事を書いてくれることを期待している。

今回のゲストハウスは、特別ゲストで山口からEさんに来てもらった。はるばる、名古屋まで、たくさんお土産をもらってしまった。有難すぎる。いつも関東や関西から来てくれているフォロワーもありがとう、次回は名古屋以外での開催もありですね。次やるなら夏頃ですかね、就活を頑張って終わらせようと思います。

今回はたこ焼きとチョコフォンデュをした。あといつものようにYさんがワインを持参してくださり、結構良さそうなワインだったが、みんなオレンジジュースやコーラなどでドボドボと割っていたのが面白かった。あと、 Eさんにお酒好きなの?と聞いたところ、「お酒の味が好き!」と言っていたのが面白かった、珍しいこと言うね…。

Eさんが持ってきてくれたチェキで遊んだんですが、めちゃくちゃ楽しかったです。アイドルチェキ会ごっこしたり、ぬいぐるみを撮ったり、たくさん写真をもらってしまった。Eさんが結構構図にこだわっており、そのセンスが素晴らしかった。絵も上手だし、そういうセンスが私にはないので、素直に羨ましい。

チェキ買おうかな。またやりたいよね。

今回は8人での開催予定だったが、Rさんは7人集まった時点で布団から抜け出したらしく、京都より2・3時間ほど遅れやって来てくれた。Rさんは今年も卒業できなかったらしく、「27になってもこんな感じで大丈夫」みたいなことを言いながら踊っていた。大丈夫かはわからないけど、心強いですね。社会適合ピース。ツイッターで話題になっていた『K大学のカッコいい留年シール』を見せてもらったが、確かにキラキラしておりカッコよかった。これは何回も留年しちゃうね。

あと「イスラム教徒と王将に行った話」が面白かった、どういうシュチュエーションなんだ?

いつも酔っ払って異常行動をしているYさんは今回はまともだったが、Rさんがどこで知るの?みたいな音楽をたくさんかけて踊っており、とても愉快だった。今回のゲストハウスで、GEZANという狂気の音楽を知り、あれから毎日聴いてしまっています。癖になるね。

あと、今回の優勝ワードは「仲間のために暴れjailに入る」なんですが、これはT.O.P.の4 My Thugzという曲です。これもRさんが教えてくれました。意味がわからなすぎてめちゃくちゃ面白いので、ぜひ聴いてください。

「仲間のために暴れjailに入る」、爆アゲワードだし、まさに運命共同体のフォロワーとの曲じゃん。私はフォロワーに対してメンヘラなので、運命共同体だと思ってるし、死ぬまでツイッターやめないで欲しいし、捕まるときは一緒だよと思っています。嘘ですが、監獄へは一緒に入ろうね。ウチら共犯でしょ?

 

最近フォロワーのGさんとも話していたが、フォロワー全員一生ツイッターにいて欲しい。私もいるから。ツイッターやめないなら就職しても結婚しても出産してもいいけど、ツイッターやめるならしないで欲しいみたいなこと言ってた。フォロワーに束縛するな。

フォロワーみんな好きなので、みんな幸せになって欲しいけど、急にいなくなると寂しいので、たまにでも生存報告して欲しいな。

 

がっこうぐらしで、「突然いなくなって、生きてるか死んでるかもわからないなんて、ずるいよ」みたいなセリフがあったと思うんだけど、それです。(重すぎる)そういえばがっこうぐらし完結したので、みんな読んで欲しい。予想外の終わり方をした。

 

ツイッターは私にとってはすごく居心地がよくて、オフ会も毎回すごく楽しいので、ずっと遊んで欲しい。

やっぱりどうやってもインターネットフレンズなので、ツイッター以外に連絡手段もないし、会えるものでもない人がたくさんいるよね。また、数年後とかでも思い出したら、フォローしてね。私も何回かツイッターやめたり始めたりして(メンヘラなので)、数年ぶりに繋がったりする人が結構いる。

いや、私のことが嫌いになったのなら、全然ブロックなりミュートしてくれて大丈夫なんですが、急にいなくなると寂しいよ〜。

ツイート数がめちゃくちゃ多くてみんなのTLを埋めてしまうし、あんまり人に好かれるようなツイートはしていない自覚はあるので、嫌われても仕方ないと思う。もう大人なので、ブロックされたからって晒しあげてぐちぐちとかしないよ。

むしろ好いてくれている人はかなり物好きだと思うし、いつもありがとうございますですわね。

 

オタクなのでいつも長文を書いてしまう。脳みそがスカスカな上に眠れない深夜にこれを書いているので、もし会話の内容が違っていたり、それ自分が言ったんじゃないよ!みたいなことがあれば教えてください。修正します。

まあ自己満足の自分用メモという意味がほとんどなのでいいんですが長いだけで何も面白くない気がする。note開設してるフォロワー、あとは面白く書いてください!これ以外にも面白いことたくさんあったし、もっと書きたいことはあったんですが、あまりにも長くなるのでやめておきます。ここまで読んでくれた人っているんですか!?

 

毎日就活に向けて心を順調に病んでいます、私は超帝王なのにいつまで庶民のフリをして就活などしなければいけないんでしょうか?謎ですね。

 

まとも王

2019ねんがおわるはなし

いよいよもう2019年が終わりますね。

いや、しかし来年が2020年ってすごいな。2020の字面の近未来感がすごい。宇宙みたいな字面じゃないですか?すごいね、もう2020年代に突入なんだ…。個人的には2012年とかもものすごいワクワクしたんだけど、2っていう数字かな?

そういえば私は1998年生まれなんだけれども、2000年生まれがいるっていうことに驚きを隠せない。2000年生まれが大学1年生かな?だとしたら、高校を出てもう社会人をしている人もいるわけで、そう考えると、すごい。私もあと2年遅く生まれていたら2000年生まれだったのになあ。2000年生まれの人は、00の代とかって書いたりするの?めちゃくちゃかっこいいじゃん。でも今時ヤンキーでも書かないか、まあ私も書いたことはありませんが。

 

ありがちだけど、2019を振り返ってみようと思う。

私は11月生まれなので、2019年ほとんどを20歳として過ごしたわけですが、昔に比べて自分の年齢を意識することがあまりなくなったように思う。

高校生までは、自分の年齢が自分を表す重要な1パーツだと思っていた。アイデンティティっていうのかな、あれも。でもいつのまにか自分の年齢なんてどうでもよくなってしまうくらい、自分のことを知ってしまったし、興味がなくなってしまったのかもしれない。

選挙なんて18になったらもう行けるし、20になって変わったことといえばお酒や煙草が合法になるくらい。でもお酒や煙草が解禁になるなんて、大人になってよかったことのほんの、ほんのたった1つでしかない。

高校生の子とか、大学生とかがよく言う年齢を自虐したような「若くなきゃ意味がない」「高校卒業したらババア」みたいな、確かに10代の時は私もそうだったんだけど、若さってそれだけで価値があるように感じるよね。この日本では、未熟なこと、無知なことが良いとされている風潮があるけど、そんなものを求めてくる大人はまず最悪だから、特に中学生とか高校生の女の子は騙されないように気をつけてほしい。まあ私のはてなブログを見る人に年下の子はほとんどいないだろうから、こんな話をしてもアレだけど、でも、大人になるのって自由になるってことだから、全然悪いことじゃなかったな、って話。もし不安に思っている人がいたら安心してほしい、少なくとも私は高校までより今のほうがずっと楽しいな。

できなくなったことなんて制服を着れなくなったことくらいで、できることはたくさん増えていく。私の学校は校則が超厳しかったし、家もゲーム禁止だったから、好きにオシャレしてゲームできる今の環境は最高だな。まだ大学生だからこんなことを言えるのかもしれないけど。とはいえ学費も家賃も親に払ってもらっているので、あまり大きな口を叩けないんだけど。

 

今年の夏は合宿で自動車の免許をとったなあ、大学3年生の夏って割と遅めだよね。あの時はずっとツイッターしてた、辛すぎて。実は外泊自体が苦手なんだけど、にも関わらず、2週間も知らない土地の、狭い部屋(しかも汚い、うるさい、ゴキブリがよく出る)で、本当に眠れないし体力は限界だし、つらかったな。結局延泊するしね、なんなんだ。でもあれより辛いことってそうそうなさそうだしこの先大抵は耐えられるな、とポジティブに考えています。

 

イッカクと出会えたのもよかった。確か2月だった気がする、バイトに行きたくなくてふと寄った雑貨屋で持ち歩き用のぬいぐるみを買おうと思ったんだよね。最初はクジラかと思った。イッカク、なんてマニアックな生き物をぬいぐるみにしようとしたんだ。♡出会って1年♡、日に日に好きが増すばかり…。最初はこんなに可愛がるとは思わなかった、一気に一番へと昇格してしまった。

周りのフォロワー数人がイッカクを買ってくれたのも嬉しい、みんなでイッカク会しようね。早く富豪になってフォロワー全員にイッカクのぬいぐるみをプレゼントしたい。

 

2019年は個人的にとても充実した年だったな。

年明け早々THE KEBABSの結成を聞いて東京に行ったのを思い出す。今年は元号も令和になったんだっけ、5月1日もTHE KEBABSのライブを見に東京に行ってたし、今年は節目節目を好きなバンドで迎えられたのかもしれない、良い年だった。欲をいえばCDJに行ってTHE KEBABSで締めたかったところですね。

何と言っても、今年は大好きなバンド、UNISON SQUARE GAEDENの15周年の年だったしね。15周年ライブ、本当によかった。大阪の舞洲というところで開催されたんですけど、確か2万5千人だったかな、ものすごい人の数で、UNISON SQUARE GARDEN共和国じゃん!ってなっちゃった。あんなに人がいたのに、身近に好きな人がいないのどうしてなんだ?

同バンドの、シングルのカップリング曲のみで全国ツアーをするというニッチなライブに2公演も行けたのもとてもよかった。しかも地元で、整理番号がめちゃくちゃよく、目の前でボーカルの斎藤宏介を見られて、すごい体験をした。残念ながらめちゃくちゃ聴きたかった曲はやらなかったのだけど、きっと4年後も5年後も彼らのことが変わらず好きだと思うので、ライブに通い続けてたらいつか聴けるといいなあ。

私が高校2年生だった5年前の夏、日本武道館で彼らの10周年を祝ったときも、きっとずっと彼らの音楽が好きだろうと思っていたけど、やっぱりまだ好きだった。こんなに変わらず、何かを好きでいられるということは、それだけでもう幸せなことなんだと思う。

 

フォロワーも、長く仲良くしてくれる人がとても多くて、いつもありがとうございます。岐フ会メンバーとお酒が飲める日がくるなんて思っていなかったです。

今年はゲストハウスがとても楽しかったな。来年2月も、楽しみにしています。

 

今年は本当に良い年でした。20代は、来年も、再来年も、ずっと今が一番楽しいが続くといいな。2019年も、まとも王をありがとうございました。2020年も引き続き、まとも王への支持をよろしくお願い致します。

 

まとも王

 

おならのはなし

 

この前一緒に住んでいておならをしないカップルや夫婦はどうしてるの?みたいな内容のツイートを見かけた。

その夫婦はどうやらおならにオープンなようだった。

 

あるフォロワーと遊んだときに同じことを言っていたのを思い出した。フォロワーのカップルもおならにはオープンなようで、どちらが大きな音を出せるのかを競い合ったり、なんと、フォロワーの恋人は目の前で急にパンツを下ろし生尻でおならをしたりするらしい。肛門のシワの動きまで見えてしまったと言っていて、めちゃくちゃ面白かった。「セックスできるならもう恥ずかしいことなくない!?」と言っていた。なるほど、一理ある。

(勝手に暴露してしまってすみません、ダメだったら消します。)

 

また、有名なフォロワーGさんのお兄さんは、Gさんの布団の上でおならをすると言っていた。(どうやら全裸で寝ていたり常日頃から奇行がすごいらしいので、おならは可愛いものなのかもしれない)

 

Gさんがそういうのは育った家庭の違いじゃない?と言っていた。Gさんの家はおならにオープンらしいし、そのフォロワーの家もそうらしい。

 

私の家庭もとてもオープンだ。Gさんやそのフォロワーの家庭、カップルと大体似たような感じである。だけれども、私はおならに対してオープンにはなれない。

うるさいし、くさいし、おならが好きな人は特殊な性癖でもない限りまずいないとは思うのだが、おならも、おならにオープンな自分の家族もすごく嫌だった。本当にトイレでしてほしい。いや、どうしても出てしまうものは仕方がないが、トイレに行く努力をしてほしいよ…

 

話は変わるが、普段のツイートを見てわかる通り私はとても内向的な人間である。基本的に他人にあまり心を開かない。ツイッター上でのツイートは独り言のようなもので、誰かに向けているわけでもないので何でも言えるし、そんなツイートを見ているフォロワーにもまあ言える。悩みは近しい人じゃない方が言えるタイプ。家族や、恋人や友達であっても、というか、だからこそ、自分の恥ずかしいところや弱いところを見せたくないのかもしれない。プライドが高いのだろうか。

 

何が言いたいかというと、結局人間関係は、「どこまで恥ずかしいところを見せられるか」なのかなと思ったわけである。

そういえば読んだのは結構前だけど、朝井リョウさんの小説「レンタル世界」に出てくる主人公は「自分の底を見せる、最も相手に知られたくないようなことをさらけ出す」ことで信頼関係を築いていると言っていた。体育会系っぽいやり方だが、いい方法なのかもしれない。みなさん手取り早く打ち解けるためにはおならで試してみてはどうだろう。

まあ人間関係なんて、人間の数ほど築き方があるわけで、何がダメで何が良いなんてものはないと思うけどね。そういうわけで、私は今日もおならをしません。

 

何の話?

 

まとも王